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2015年1月3日(土)画期的な家裁審判

昨年12月17日、面会交流の合意が守られないために、父親が親権者の変更を求めた申し立てを、福岡家裁が認めたというニュースがありましたね(18日大分合同新聞)。離婚後の単独親権制度の現行法の中では、今までにない画期的なことです。

家裁は親権を父親に、監護権を母親に分けることで、「双方が長男の養育のために協力すべき枠組みを設定することが有益。子どもを葛藤状態から解放する必要がある」と指摘しているというのですから、こういった審判例が全国の家裁に広がっていくことを切に願いました。

僕が調停を申し立てた約25年前には、こんな家裁の判断が現実になるなんて、信じられませんでしたね。

当時の調停委員は、子どもの養育について、子どもの視点や権利にそって、双方の親を説得する姿勢は皆無でした。今でもそうなのかもしれません。3回の調停を行いましたが、「これ以上の調停を望むのであれば、お子さんにお父さんかお母さんのどちらかを選んでいただくことになります」との最後通告。当時5歳の子どもにどちらかの親を選ばせるというその残酷さに、うちのめされました。

調停ですらこうなのですから、その先の審判は、子どもにとってどんな悲惨なことになるかと、調停委員や家裁そのものへの不信感から、当時の僕はその時点で調停をやめました。妥協の余地はなかったのです。やめてよかったと今でも思います。

共同子育て・共同親権社会の実現のためには、子どもの権利を主体とした新しい法律を制定する必要がありますが、現行法の中でも、今回のように、親権と監護権を分けることで、子どもにとって父親と母親双方の関わりを保障していくというのはとても重要です。

けれども、今回の申し立てもたった月1回の面会交流が守られなかったとのこと。国際基準は、少なくとも年間100日です。父親と母親が遠方であるにしても、月1回の「面会交流」だなんてあまりにも少なすぎます。(常日頃思っていることなのですが)そもそも、子育てって「交流」なんですかね。

さらなる「画期的」な家裁審判が待ち遠しいですね。

2015年1月2日(金)子どもに会えない現実を生き延びる

離婚と子どもに会えない日々の中で、僕はアルコール依存症になってしまいましたね。

アルコール依存症はほんとうに気をつけなくてはいけないです。幸いにも、ブラックアウト(飲んでいたときの記憶がないほどの酩酊状態)までにはなりませんでしたが、昼間からアルコールを飲んだり、夜も毎日のように飲まなくてはいられなかったり、週に数日の休肝日さえも自分の意志でつくれなくなっていましたから、完全なアルコール依存症と言ってもいいでしょう。

離婚時に取り決めた面会の約束は守られず、クリスマスや子どもの誕生日にプレゼントを送っても、(まだ子どもが受け取り拒否をするならまだしも)母親が受け取りを拒否し、わざわざ送り返してくる。

小学校の帰りに会いに行っても、母親から僕の悪口を聞かされている子どもは身をよじるようにして僕を避けていこうとします。

そんな子どもに会えないという過酷な現実は、いとも簡単に、僕をアルコール依存症、自死、さらには相手への殺意願望までもたらしてしまいました。

こんなにもひどい現実を、いったいどうやって生きのびればいいのでしょうか—。

当時、僕は幸いにも友人がやっていたコウ・カウンセリング(再評価カウンセリング)に出会うことができました。お互いがカウンセラーとクライアントの時間を対等に分かち合って、話をしたり、泣いたり、笑ったり、怒ったりという感情を出すことで、過去の傷を癒していくというカウンセリングです(詳しいことはまたの機会に)。

それで僕の場合、とにかく泣きました。泣くことしかできませんでした。泣いて泣いて泣き尽くすと、何とかその日を生きていくことができるような、そんな日々がず〜っと続いていました。

すさまじいまでの怒りと憎しみに、枕をなんどもナイフで切りつけズタズタにしてしまいましたし、いくつわら人形をつくり、カッターで切り刻んだことでしょう(笑)。

自分も他人も傷つけることもなく、ひとりで、あるいはもうひとりのカウンセラーに見守られる中で、泣き叫び、憎しみや怒りをはきだすことは、アルコールで自分の躰をボロボロにするより、はるかに安全で安心な方法だったと、今では思うことができます。

ひとしきり泣いた後は、

「まだ居場所がわかっているだけでもいい」

「プレゼントだって、だまって捨てられるよりはまだ送り返される方がいい。ずっととっておいていつか会えるようになったら渡そう」

「昨日の学校帰りはすれ違いで会えなかったけど、今日は顔を見れただけでもよかった」

「子どもも自分も生きていれば、いつの日か会える日がくるよ」

と、現実を受け入れられる方へと心がほんの少しでも動くのでした。

おかげで、子どもに会えないだけでもじゅうぶんにひどい現実を、よりひどい状態(自死したり、子どもを奪い返したり、人を殺したり)、より複雑な状況にしなくてすんだのは、よかったなぁと思います。

2015年1月1日(木)その日のために、自分のために養育費を送る

新しい1年がまたスタートしましたね。

今年もよろしくお願いします。

子どもと会えないでいたときには、毎月、わずかな額ですが、収入のほぼ30%にあたる金額を、養育費として送金していました。

養育費と面会とはまったくの別もので、会えないから養育費を払わないというのは違うよなぁと思いつつも、さまざまな思いが心の中を巡っていました。

子どもと週に3〜4日過ごすことができれば、こんな養育費なんてそもそもいらないだろう。

子育てのためにかかった経費は、きれいに折半して、毎月、お互いの共同子育て口座に振り込めばいいだけのこと。

その上で、子どもはお互いの家を自由に行き来できるようにすればいい。

子育てという役割においては、お互いともプロフェッショナルに、どんな私情もはさむことなく妥協と協力を自らに課す、そんな思いでいたものです。

けれども現実はというと、会うことさえできないのですから、自分の中に大きな葛藤が生まれてきます。

でも会えないからといって、養育費を支払わないのは、相手と同じ土俵に上がってしまうようで、つまり子どもを自分の所有物かのような論理によりかかってしまうようで、イヤでした。

離婚後子どもと引き離されるのは、誘拐や拉致と同じことです。仮に誘拐だとしたら、身代金にあたるのが、養育費の支払いでしょうか。子どもを人質にとって暗に脅迫するというやり方です。

子どもを人質にとられているわけですから、全面的に争うわけにもいかないのですが、僕はもともと、争いごとは好きではないし、できるだけ避けて生きていきたいと思っている、気の小さな人間です。それで、少しずつですが、こう思うようになりました。

仮に誘拐だとしたら、まだ子どもの所在が確認できて生きているだけでもいいじゃない。子どもが生きていてくれるだけで、この養育費は支払う価値があるものじゃないか。この養育費がどんな使われ方をするのかわからないけど、それは僕の手の届かないどうにもならないこと。今は、自分が子どものためにできることをやろう、と。

会えないという現実を少しずつ受容できるようになると、養育費を送金するだけでも、子どものために何かしてあげられることがあってよかったと思うようになりました。もちろん、現実を受容することは、あきらめるということではありません。

生きていく上で、他人を変えることはほとんど不可能なものです。離婚した相手ならなおさらです。まだ社会を変革する方が可能性があります。自分が自死することなく現実を受け入れて生きのびるためには、自分を変えるしか道はなかったのだろうと、当時を振り返って思うのです。

結局、子どもと会えないまま、子どもが大学を卒業するまで養育費を送り続けました。元ツレアイが、お父さんから養育費をもらっていたことを子どもに伝えたかどうかはわかりませんが、そんなことはどうでもいいことです。

自分が自分として与えられた環境の中で、子どもをどう愛し、どうかかわろうとしたのかということが大事です。僕にとっては、それが今の自己受容につながっています。

たとえ今子どもに会えないとしても、いつか会えるかもしれないその日のために、養育費は自分のために送金しておくと、その日を迎えたとき、堂々と子どもに伝えることができるでしょうね。

2014年12月31日(水)年の瀬に

 今年は、例年になくハードな1年でした。人工呼吸器をつけた重い障害をもつツレアイが、腎結石で2回、気胸で3回、計5回も入院してしまったからです。

 その度に、僕も付き添いのために、病院に泊まり込みでした。病院という閉ざされた空間に2週間近くもいると、気分が滅入ってきます。たまに自宅に衣服や食料をとりにいくときの、外の空が広がる空間に身を置いたときの開放感は、心をす~っと軽くさせてくれたものです。
 自分が時間をかけてつくってきた環境ではあるのですが、男性でありながら、ツレアイの介助ができる環境にあるということは、よいことだと思っています。というのも、男性は歴史的に、介助(介護)はおろか、子育てからも遠いところに置かれて、お金を稼いでくる役割ばかりを押し付けられてきたからです。
 「家」制度が存続していたころには、離婚後、子どもに会えなくなるのは女性が圧倒的に多かったのですが、戦後、急速に「家」制度が崩壊し、核家族化に移行していくと、離婚後、子どもに会えなくなるのは男性がその多くを占めるようになってきました。子育てをめぐる、男性と女性の性別役割が、大きく影響している結果と言えるでしょう。
 婚姻中の子育てを、男性も女性も対等に分かち合うことが、当たり前の社会になれば、離婚後の共同子育ても当たり前の社会になるのではないかと思っています。まだまだ時間はかかるかもしれませんが、きっと実現不可能な社会ではないはずです。
 まぁ、そんなこんなで、しんどかった1年に、さようならできる今日の年の瀬は、正直うれしいです。新しい年よ、早くおいで、おいで、の気分です。
 でも、2年前の31日には、午後2時ころ、雪道のスリップで、交通事故を起こしてしまいました。新しい年を迎える午前0時を迎えるまで、まだまだ気が抜けませんね(笑)。
 みなさま、よいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2014年12月30日(火)会えなかった日々の習慣

今から約24年前に25歳で離婚を決意したときには、離婚後の共同子育てはあまりにもあたり前過ぎて、まさか子どもに会うことすらできなくなるなんて、夢にも思ってもいませんでした。

離婚後の何回かの面会の後、子どもが「お父さんと一緒に住む!」とお母さんに向かって言うと、「そんなのダメだよ!お父さんには会わせないよ」と元ツレアイはすかさず返す。それでも負けじと当時5歳にの子どもは「お母さんはお母さん、お父さんはお父さん、ぼくはぼくでしょ!」と叫びました。

親が制限さえしなければ、子どもは親の所有物ではないということを、子どもは子どもなりに直感的に分かっているんですよね。

ともあれ、共同子育ては元ツレアイの理解と同意があってはじめて可能になるわけで、自分ひとりがどんなに望んでもできるわけではないし、ましてや全面的に敵対していては、できるものもできないものです。

ぎりぎりのところで、最愛の子どもの親としての関係性をお互いに再構築していかなくてはなりません。その作業はときに大きな葛藤と痛みをともなうものだと思いますが、子どもへの愛を糧として乗り越えなくてはならないものなのでしょうね。

子どもと引き離され、会うことさえできない日々は、絶望につぐ絶望にどっぷりとつからなければならない日々です。逃れることのできない牢獄に入れられた日々です。その苦しみに比べれば、乗り越えられないものではないような気がします。

子どもが20歳になってから会えるようになったのですが、今でも、夜眠る前に書く日記には、「おやすみなさい」と子どもにむけて書いてしまいます。

子どもはもう30歳近くになるというのに、今は会おうと思えば会える状況にあるというのに、会えなかった当時の習慣はなかなかぬけないものなんですね(笑)。