今から約24年前に25歳で離婚を決意したときには、離婚後の共同子育てはあまりにもあたり前過ぎて、まさか子どもに会うことすらできなくなるなんて、夢にも思ってもいませんでした。
離婚後の何回かの面会の後、子どもが「お父さんと一緒に住む!」とお母さんに向かって言うと、「そんなのダメだよ!お父さんには会わせないよ」と元ツレアイはすかさず返す。それでも負けじと当時5歳にの子どもは「お母さんはお母さん、お父さんはお父さん、ぼくはぼくでしょ!」と叫びました。
親が制限さえしなければ、子どもは親の所有物ではないということを、子どもは子どもなりに直感的に分かっているんですよね。
ともあれ、共同子育ては元ツレアイの理解と同意があってはじめて可能になるわけで、自分ひとりがどんなに望んでもできるわけではないし、ましてや全面的に敵対していては、できるものもできないものです。
ぎりぎりのところで、最愛の子どもの親としての関係性をお互いに再構築していかなくてはなりません。その作業はときに大きな葛藤と痛みをともなうものだと思いますが、子どもへの愛を糧として乗り越えなくてはならないものなのでしょうね。
子どもと引き離され、会うことさえできない日々は、絶望につぐ絶望にどっぷりとつからなければならない日々です。逃れることのできない牢獄に入れられた日々です。その苦しみに比べれば、乗り越えられないものではないような気がします。
子どもが20歳になってから会えるようになったのですが、今でも、夜眠る前に書く日記には、「おやすみなさい」と子どもにむけて書いてしまいます。
子どもはもう30歳近くになるというのに、今は会おうと思えば会える状況にあるというのに、会えなかった当時の習慣はなかなかぬけないものなんですね(笑)。
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