コトオヤネットさっぽろ

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12月

12月13日(金)

数ヶ月ぶりに、子どもと会っていろいろおしゃべりしながら、食事をごちそうしてあげました。子ども、と言っても28歳になるりっぱな男性です。

離婚により、5歳で離ればなれになり、きちんと会えるようになったのは、子どもが二十歳になる頃からでした。それ以来、数ヶ月ごとに、こうしてご飯をごちそうしてあげながら、近況を聞いたりしています。

仕事やスポーツのこと、彼女のことなど、ごくごく日常にありふれた話題ばかりです。それでも僕にとっては、20年もの年月、ここまでに至る長く苦しかった道のりを思うと、こうして体いっぱいに子どもの話をきける時間が、とても貴重で尊くてありがたくてたまりません。生きいくことをあきらめないでよかった、と思う瞬間です。

僕と子どもとは20歳しか年が離れていないので、少し自分の顔に似ている子どものことを、今では年の離れた弟のように思います。子どもにとっても、「気がついたら父親はいなくて」、学校帰りに会いにくるのが父親の姿だったようですから、僕のことを、「父親というほど親しくもないし、かと言って他人でもないし…」、「今では年の離れたお兄さん」のようだと言います。

「あの学校帰りに会いにこられるのは、子ども心にイヤだったなぁ」と彼は言います。

23年前の離婚のとき、願っていた離婚後の共同子育ては相手の強力な反対で実現せず、月に1回は会わせるという約束も守られず、家裁に調停を申し立てれば、「最後にはお子さんに、お父さんかお母さんのどちらかを選んでいただくことになります」と調停委員は言いました。そんな家裁に見切りをつけた僕は、とにかく学校帰りやプールの帰りなど、何でもいいから、子どもに直接会う、ということをやったのでした。学校の先生に時間割をもらい、週に数回以上は会いにいっていました。

子どもは、そのときのことをそう言ったのです。一緒に帰るお友達とのこと、同居する母親からは「お父ちゃんは、お前を捨てた」と言われていたのです。子どもにしてみれば、イヤで仕方なかったと思うのは、当り前のことです。

そんな彼に、「会うための方法が他になかったからねぇ。」と僕は笑いながら答えました。つまるところ、そこまでして会いにいっていた父親の姿を、彼自身がどう感じとりどう理解してもらうか…、それは、僕の手をはなれたところにある彼自身のことかもしれません。

僕は父親であることの愛情をそういう方法でしか伝えられませんでしたが、選択しうる方法の中で、もっともすばらしいことだったと今では確信しています。

人の子ども時代は、とても短く、1日1日が新しい出来事の連続です。その彼の子ども時代に、学校帰りのほんの一瞬であっても、父親である僕の姿を刻むことができたことがうれしいのです。