コトオヤネットさっぽろ

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01月

2015年1月5日(月)空白の時間

子ども時代の時間の流れは、大人の時間の流れとは大きく異なり、1日1日に大きな意味があります。親という存在は、子どもが幼いからこそ必要とされる存在であり、子どもが大人になってから必要とされる存在ではありませんよね。

ですから、離婚時、子どもが幼ければ幼いほど、父親と母親が子育ての今後を、迅速に丁寧に決めていく必要があります。

子どもにとって、親に会えない状態が長くなればなるほど、親子関係の修復は困難なものになります。

子どもに会えない親にとっても、子どもがもっとも親を必要とするその時期に、自分がそばにいてあげられないのは、つらいものです。

僕が子どもと会えない状況が続いているときにも、「いつか大人になったら会えるようになるから」とか、「子どもから会いに行くようになよ」といった励ましの言葉をかけていただきました。でも、大人になって会えるようになってからも、そばにいてあげれなかった空白の時間は、永遠に空白のままで、埋め合わせできるようなものでは決してありませんでした。

おむつ替えをし、離乳食をつくって幼かった子どもはすっかり大人になり、親離れの時期をくぐり抜け、親を無条件で必要とする時期はとっくに卒業していたのです。(できることなら、親に対する反抗期のバトルを全身で受け止めてあげたかったな。)

子どもが大人になり、会えるようになってから、その空白の時間を埋めようともがき苦しんだ時期もありましたが、数年たってからそんなことは到底不可能なことだということがわかりました。むしろ「空白の時間」は「空白の時間」として、受け入れて、未来志向で、大人の子どもとの関係性をつくろうと思うようになりました。

親子の関係は生きている限り、一生続きます。これから先、子どもとどんな関係性をつくっていけるのかわかりません。子どもの頃のような濃密な関係性ではなく、同じ時代を生きる、兄弟のような感覚で、大人になった子どもと接していけたらと願っています。

ずっと片思いかもしれませんが(笑)。

 

 

2015年1月4日(日)親の勝手な都合

 明日から仕事始めで、今日でお正月休みも終わりという方が多いのではないでしょうか。

介助の仕事にお正月休みはないので、僕には関係ないのですが、お休みだった人にとっては、また日常にもどっていくウォーミングアップのような1日ですね。

 子どもを育てるということは、人生の中でももっとも困難をともなう一大事業だと思います。
 その作業を、離婚後信頼関係が破綻してしまっている相手と、共同作業で行うということは、これまた労力も精神力も倍以上もかかることですね。実際の子育ての場面、場面ではメリットもたくさんあると思いますが、相手との葛藤を乗り越えるという部分ではしんどい作業です。
 今まで、人生のパートナーと思っていた人との関係が破綻し、これからは子どもを通しての関係性のみ、つまり父親、母親という「親業」という関係性のみで、まるでビジネスパートナーのような関係に移行するわけです。
 それに至るまでの道のりは、決して平坦な道のりではないはずです。多くの社会的支援が必要です。
 例えば、面会や子どもの引き取りの日時や方法などを、相手と連絡調整をしていくことや、子どもを通しての相手との関係性をつくっていくためのプログラムやカウンセリング。すでに共同子育てを実践している先輩方から話を聞くことも大きな励みとなることでしょう。
 そういった支援機関、支援体制は、共同子育てを社会に定着させるために、ぜひとも必要です。
 子どもは、社会の未来です。
 自分も含めて、子どもからみれば「親の勝手な都合」で離婚したわけで、離婚の最大の被害者は子どもです。親の離婚には、子どもは一切の責任もありません。と、同時に、毎日のようにケンカと争いが起きて、ときには言葉の暴力や無視、身体的暴力が繰り広げられたりしながらも、離婚しない、離婚できないのも、子どもからみれば「親の勝手な都合」かもしれません。そんなひどい婚姻状態の中で生きていかざるを得ないことも、子どもには一切責任はありません。

 それが婚姻中であれ、離婚後であれ、ツレアイ同士の争いごとは、そのコップの中だけにとどめておくことが必要で、それを親子関係の断絶にまで波及させてはいけないですよね。

これは、「言うは易く、行うは難し」です。相手があることですから。今になれば、自分自身、元ツレアイに対しても反省することばかりです。子どもに対しては、僕も元ツレアイとともに連帯責任があります。謝るしかありません。コップの中だけにとどめておくことができなかったからこそ、今、こうしてこんな原稿をかいてるわけです、はい。

 子どもが、安全に、安心して生きることができ、父親、母親と会いたいときに会えるのが当たり前の社会をつくること。「離婚後も、父親、母親と共同で子育てしてきた」という親が、ひとりでも多く社会の中に存在していってほしいなぁ、というのが、僕の夢です。決して「幻想」であってほしくないなぁと願っています(笑)。
 さぁ、明日から事務所もオープン。がんばろうっと。

2015年1月3日(土)画期的な家裁審判

昨年12月17日、面会交流の合意が守られないために、父親が親権者の変更を求めた申し立てを、福岡家裁が認めたというニュースがありましたね(18日大分合同新聞)。離婚後の単独親権制度の現行法の中では、今までにない画期的なことです。

家裁は親権を父親に、監護権を母親に分けることで、「双方が長男の養育のために協力すべき枠組みを設定することが有益。子どもを葛藤状態から解放する必要がある」と指摘しているというのですから、こういった審判例が全国の家裁に広がっていくことを切に願いました。

僕が調停を申し立てた約25年前には、こんな家裁の判断が現実になるなんて、信じられませんでしたね。

当時の調停委員は、子どもの養育について、子どもの視点や権利にそって、双方の親を説得する姿勢は皆無でした。今でもそうなのかもしれません。3回の調停を行いましたが、「これ以上の調停を望むのであれば、お子さんにお父さんかお母さんのどちらかを選んでいただくことになります」との最後通告。当時5歳の子どもにどちらかの親を選ばせるというその残酷さに、うちのめされました。

調停ですらこうなのですから、その先の審判は、子どもにとってどんな悲惨なことになるかと、調停委員や家裁そのものへの不信感から、当時の僕はその時点で調停をやめました。妥協の余地はなかったのです。やめてよかったと今でも思います。

共同子育て・共同親権社会の実現のためには、子どもの権利を主体とした新しい法律を制定する必要がありますが、現行法の中でも、今回のように、親権と監護権を分けることで、子どもにとって父親と母親双方の関わりを保障していくというのはとても重要です。

けれども、今回の申し立てもたった月1回の面会交流が守られなかったとのこと。国際基準は、少なくとも年間100日です。父親と母親が遠方であるにしても、月1回の「面会交流」だなんてあまりにも少なすぎます。(常日頃思っていることなのですが)そもそも、子育てって「交流」なんですかね。

さらなる「画期的」な家裁審判が待ち遠しいですね。

2015年1月2日(金)子どもに会えない現実を生き延びる

離婚と子どもに会えない日々の中で、僕はアルコール依存症になってしまいましたね。

アルコール依存症はほんとうに気をつけなくてはいけないです。幸いにも、ブラックアウト(飲んでいたときの記憶がないほどの酩酊状態)までにはなりませんでしたが、昼間からアルコールを飲んだり、夜も毎日のように飲まなくてはいられなかったり、週に数日の休肝日さえも自分の意志でつくれなくなっていましたから、完全なアルコール依存症と言ってもいいでしょう。

離婚時に取り決めた面会の約束は守られず、クリスマスや子どもの誕生日にプレゼントを送っても、(まだ子どもが受け取り拒否をするならまだしも)母親が受け取りを拒否し、わざわざ送り返してくる。

小学校の帰りに会いに行っても、母親から僕の悪口を聞かされている子どもは身をよじるようにして僕を避けていこうとします。

そんな子どもに会えないという過酷な現実は、いとも簡単に、僕をアルコール依存症、自死、さらには相手への殺意願望までもたらしてしまいました。

こんなにもひどい現実を、いったいどうやって生きのびればいいのでしょうか—。

当時、僕は幸いにも友人がやっていたコウ・カウンセリング(再評価カウンセリング)に出会うことができました。お互いがカウンセラーとクライアントの時間を対等に分かち合って、話をしたり、泣いたり、笑ったり、怒ったりという感情を出すことで、過去の傷を癒していくというカウンセリングです(詳しいことはまたの機会に)。

それで僕の場合、とにかく泣きました。泣くことしかできませんでした。泣いて泣いて泣き尽くすと、何とかその日を生きていくことができるような、そんな日々がず〜っと続いていました。

すさまじいまでの怒りと憎しみに、枕をなんどもナイフで切りつけズタズタにしてしまいましたし、いくつわら人形をつくり、カッターで切り刻んだことでしょう(笑)。

自分も他人も傷つけることもなく、ひとりで、あるいはもうひとりのカウンセラーに見守られる中で、泣き叫び、憎しみや怒りをはきだすことは、アルコールで自分の躰をボロボロにするより、はるかに安全で安心な方法だったと、今では思うことができます。

ひとしきり泣いた後は、

「まだ居場所がわかっているだけでもいい」

「プレゼントだって、だまって捨てられるよりはまだ送り返される方がいい。ずっととっておいていつか会えるようになったら渡そう」

「昨日の学校帰りはすれ違いで会えなかったけど、今日は顔を見れただけでもよかった」

「子どもも自分も生きていれば、いつの日か会える日がくるよ」

と、現実を受け入れられる方へと心がほんの少しでも動くのでした。

おかげで、子どもに会えないだけでもじゅうぶんにひどい現実を、よりひどい状態(自死したり、子どもを奪い返したり、人を殺したり)、より複雑な状況にしなくてすんだのは、よかったなぁと思います。

2015年1月1日(木)その日のために、自分のために養育費を送る

新しい1年がまたスタートしましたね。

今年もよろしくお願いします。

子どもと会えないでいたときには、毎月、わずかな額ですが、収入のほぼ30%にあたる金額を、養育費として送金していました。

養育費と面会とはまったくの別もので、会えないから養育費を払わないというのは違うよなぁと思いつつも、さまざまな思いが心の中を巡っていました。

子どもと週に3〜4日過ごすことができれば、こんな養育費なんてそもそもいらないだろう。

子育てのためにかかった経費は、きれいに折半して、毎月、お互いの共同子育て口座に振り込めばいいだけのこと。

その上で、子どもはお互いの家を自由に行き来できるようにすればいい。

子育てという役割においては、お互いともプロフェッショナルに、どんな私情もはさむことなく妥協と協力を自らに課す、そんな思いでいたものです。

けれども現実はというと、会うことさえできないのですから、自分の中に大きな葛藤が生まれてきます。

でも会えないからといって、養育費を支払わないのは、相手と同じ土俵に上がってしまうようで、つまり子どもを自分の所有物かのような論理によりかかってしまうようで、イヤでした。

離婚後子どもと引き離されるのは、誘拐や拉致と同じことです。仮に誘拐だとしたら、身代金にあたるのが、養育費の支払いでしょうか。子どもを人質にとって暗に脅迫するというやり方です。

子どもを人質にとられているわけですから、全面的に争うわけにもいかないのですが、僕はもともと、争いごとは好きではないし、できるだけ避けて生きていきたいと思っている、気の小さな人間です。それで、少しずつですが、こう思うようになりました。

仮に誘拐だとしたら、まだ子どもの所在が確認できて生きているだけでもいいじゃない。子どもが生きていてくれるだけで、この養育費は支払う価値があるものじゃないか。この養育費がどんな使われ方をするのかわからないけど、それは僕の手の届かないどうにもならないこと。今は、自分が子どものためにできることをやろう、と。

会えないという現実を少しずつ受容できるようになると、養育費を送金するだけでも、子どものために何かしてあげられることがあってよかったと思うようになりました。もちろん、現実を受容することは、あきらめるということではありません。

生きていく上で、他人を変えることはほとんど不可能なものです。離婚した相手ならなおさらです。まだ社会を変革する方が可能性があります。自分が自死することなく現実を受け入れて生きのびるためには、自分を変えるしか道はなかったのだろうと、当時を振り返って思うのです。

結局、子どもと会えないまま、子どもが大学を卒業するまで養育費を送り続けました。元ツレアイが、お父さんから養育費をもらっていたことを子どもに伝えたかどうかはわかりませんが、そんなことはどうでもいいことです。

自分が自分として与えられた環境の中で、子どもをどう愛し、どうかかわろうとしたのかということが大事です。僕にとっては、それが今の自己受容につながっています。

たとえ今子どもに会えないとしても、いつか会えるかもしれないその日のために、養育費は自分のために送金しておくと、その日を迎えたとき、堂々と子どもに伝えることができるでしょうね。