今月からまた定例会を再開できるようになりました。当事者とその家族のみなさまのご参加をお待ちしております。
僕の場合もそうでしたが、離婚に至るまでの母親と父親間の葛藤が大きければ大きいほど、離婚後の面会交流や共同子育てに大きな障壁を作ってしまうようです。
母親、父親双方に、子どもにとってはお互いの親が必要なのだという、基本的な合意と理解があれば、子どもが、片方の親から引き離されたり、一方的に片親の悪口を聞かされるということもありません。
しかし、それができないからこそ、実に多くの子どもたちが親から引き離されてしまう、日本社会の現実があるのでしょう。
引き離された側の私たちにとって、別れた相手に抱く感情は、子どもを誘拐した犯人への憎しみや怒りといった感情と同じようなものかもしれません。少なくとも、当時、僕はそうでした。そういった否定的な感情から私たちはいったいどうすれば自由になれるのでしょうか。
今から20数年前の出来事でしたが、子どもを引き離されたころの僕は、相手親のことを、何度殺しても殺し足りないとさえ思っていました。と同時に、自分も死んでしまいたいとよく思っていたものです。幸いにも、どちらも行動に移すことはありませんでした。
相手親を殺してしまえば、子どもの心までもズタズタに傷つけてしまいますし、自分が死んでしまったら、ほんとうに子どもとは二度と生きて会うことはできなくなります。ですが、カウンセリングの中では、何度、殺したかしれません。想像の中で、ナイフでめった突きにして、何度も何度も泣き叫びました。
そうでもしなければとても正気を保てる状況にはなかったのです。子どもと引き離される恐怖と不安と絶望、そして悲しみは、それほど深いものです。そしてそれらの深い深い心の傷は、20数年という年月を経ても、決して癒えるものではありません。
そうはいっても、それほど強烈な憎しみや悲しみといった感情を、ずっと強烈なままで抱き続けることもまた、人間にはできないようです。そうでなければ僕の精神はとっくに崩壊してしまったことでしょう。
きっと傷そのものが消えることはなく、深い深い傷があることに、自分が慣れていくのでしょうね。
強烈な憎しみも怒りも、深い深い悲しみから生まれます。涙を流してなくことは、ヒトという生きものに与えられた、自然治癒力のひとつです。深い深い悲しみからアルコールによって逃れるよりも、涙をたくさん流して泣く方がいいのです。
そして、何よりも、離婚によって子どもを引き離されるという同じ体験をもった仲間との出会いと支え合いこそが、僕が生き延びてこられた大きな力となっています。