コトオヤネットさっぽろ

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07月

2016年7月22日

 離婚をきっかけに、最愛の子どもと引き離された体験を生き延びて来た僕にとって、童謡詩人、金子みすずとノルウェイの彫刻家、ヴィーゲランの存在は大きなものでした。ぼろぼろになった心をふたりの作品が僕の心のささえとなりました。ふたりとも、離婚後子どもと引き離された体験をもっているからです。
 金子みすずについては、多くの方がご存知でしょうね。数年ほど前、AC公共広告機構のコマーシャルにも使われていました。

こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。
 

「ばか」っていうと

「ばか」っていう。
 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。
 

そうして、あとで

さみしくなって、
 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。
 

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも。

 金子みすず(1903-1930年)は、わずか26歳で睡眠薬による自死をしています。ひとりの人間の自死の動機について、安易な推測や憶測をすることは慎まなければなりませんが、同じ当事者として僕は、元夫による離婚後の子どもの引き離しが大きく影響していたのではないかと考えています。
 この詩のように、人は「怒り」には「怒り」で、「ごめんね」には「ごめんね」で返すものです。金子みすず自身もまた、離婚により子どもを奪われるというすさまじい暴力に対して、絶望の中「自死」という、自分自身への暴力を選ばざるをえなかったのでしょう。
 離婚後の子どもの面会交流をめぐっては、今の日本はほとんど無法地帯といっていいもので、金子みすずが生きた100年前の時代となんら変わらない状況が続いています。    
 唯一違うのは、戦前のまだ家父長制が色濃く残る社会の中では、同居親の7割が父親で、子どもとひきはなされ家から追い出されたのは母親だったことに対して、核家族社会の現代では、同居親の割合の7割が女性であることでしょうか。どの時代も性別役割が大きな影響を及ぼしていて、戦前では「おばあちゃん」という女性が離婚後の子どもの子育てを担い、現代では「おかあさん」という女性が離婚後の子育てを担っているのです。
 現代の性別役割に関して言えば、婚姻時の男性の育児参加がよりいっそう求められるように、離婚後もまた男性の育児参加が求められていいはずだと、僕は考えます。  

 ノルウェイの彫刻家ヴィーゲラン(1869-1943年)も離婚によって最愛の子どもと生き別れになっていて、その深い悲しみを彫刻を創作するエネルギーへと昇華したと言われています。
 札幌芸術の森に、彼の作品のいくつかが野外展示されているのですが、20年ほど前に、ちょうど「ヴィーゲラン展」を芸術の森でやっていて、そこでその作品群とめぐりあうことができました。「おこりんぼう」という小さな男の子が顔をくしゃくしゃにして地団駄を踏んで怒っている作品が、案内パンフレットに載っていたことを今でも覚えています。
 僕が離婚をした約25年前には、離婚後の共同子育てについての情報はほとんどなくて、唯一、「クレイマークレイマー、以降」(筑摩書房1989年)という棚世一代さんが書かれていた本を図書館で見つけた時の感動を今でも覚えています。棚世さんは米国1980年代の離婚後の共同子育て事情を、ていねいなインタビューをもとに紹介されていて、その先駆的な取り組みに心から感謝しました。
 「あなたが好きで結婚して離婚したんだから自業自得でしょう」「いつの日か子どもの方から会いにくるわよ」「子どもが不安定になるから会わない方がいい」そんな(善意の?)言葉を返されて、悲しみにくれていった日々の中で、さらには子どもに会うための情報がほとんどない中で、金子みすずやヴィーゲランのように、自分と同じ体験をした人々の作品やその歴史にふれるだけでもずいぶんと生きていく支えになったものです。

 子どもとの面会を求めて、元ツレアイと闘えば、相手は硬化し、共同子育てどころか、「あなたのお父さん(お母さん)はお前を捨てたんだよ」と別居親の精神的な引き離しへと向かっていきます。
 一方で、私たち当事者は、自らを省みて相手への信頼をぎりぎりのところで残したまま、いつの日か会える(会わせてもらえる)日を信じて、その日を待つことが最善の道なのでしょうか。
 いずれにしてもこの現実は、まさに子どもを人質に取られているのと同じ状況です。この状況は社会のシステムとして生み出されているものなのではないでしょうか。
 離婚後の「子どもの最善の利益」を守るための「子どもの権利条約」や「国際間の離婚後の子どもの引き渡しに関する条約(ハーグ条約)」が批准されながらも、国内法では抜本的な法律は制定されないままの社会の中で、1日1日を生き延びなければならない当事者は、現在でも年間10万人にも上ることでしょう。
 子どもと会えない親の数だけ、親と引き離される子どもがいるわけで、累計で換算すると、戦後70年間で、片親と引き離された子どもは数百万人にのぼるのではないでしょうか。
 離婚による子どもと親の引き離しは、決して個人の問題ではなく、「親の権利」「子どもの権利」としての社会的な問題なのです。現行の民法が解決しなければならない、最重要課題ですね。
 引き離された痛みと悲しみを社会変革の力として 「子どもに会いたい」「離婚後も子育てをしたい」という、理屈ではない、ひとりの親として当たり前の思いをかなえさせるために、私たち当事者はもっともっと社会に理解を求めていいと思うのです。
 

2016年7月17日

 離婚後、子どもと会えなくなった当事者の多くは、自死を考えますよね。実際に自死してしまう人もいます。僕自身もそうでしたから、その時の絶望のどん底にいる精神状態はよく理解できます。
 子どもに会えなくなってからの数ヶ月はそのピークです。子どもとの絆は断ち切られ、心の傷からはどくどくと血が流れ出ています。その傷は1日1日を生き延びるごとに、出血する血の量が増えて、やがて少なくなっていき、1年間も生き延びることができれば、その傷に慣れてきます。傷が癒えるのではなく、傷があることに、そこから血が流れ続けていることに慣れていくのでしょうね。本能的かつ身体的な生き延びるための作業である、食べる、眠る、着る、住まう、排泄するといった作業と時間の流れがそうさせてくれるのかもしれません。
 僕には、離婚後子どもに会えなくなった友人や知人が何人もいるのですが、そのほとんどの人たちが、子どもに会うことを諦めているかのようでした。かつて僕は、そんな彼らをみて、「最愛の子どものことを、なぜあきらめられるのだろうか」と理解できない気持ちを持ち続けていました。
 けれども、ここ数年の間に、しかしそうではないのではないかと思うようになりました。「もう子どものことはあきらめた」と言うことでしか、生き延びられなかったのではないかと。そう思うようになったのです。深い深い悲しみのただ中にあって、その現実に真正面から向き合い、生き延びることは、誰にとってもつらいことです。そこで「もうあきらめたんだ」と自分に言い聞かせて生き延びるということも、人が生き延びるための大切な方法なのかなぁと思うようになりました。生き延びること、それこそがもっとも重要なことであって、「あきらめること」でその人が生き延びれればそれでいいじゃないかと。
 しかし、そんな彼/彼女らにしても、生活の中のさまざまなシーンで、ひきはなされた子どものことを思い出すはずです。公園で遊んでいる同じ年代の子どもをみたとき。子どもが好きだった歌がテレビから流れて来た時。そして、死の淵に立たされたとき、生き別れとなってしまった子どものことを思い出さないはずはないのです。それは僕も同じです。つまりは、あきらめられないからこそ、「もう子どものことはあきらめたよ」と言い、絶対に忘れられないからこそ、「もう子どものことは忘れたよ」と言って生き延びるしかないのではないかな。そんなふうに思えるようになりました。
 離婚後、子どもとひきはなされるという体験は、誘拐されて子どもを人質に取られたり、拉致されるのと同じような体験です。感情的には、死にたいとさえ思うどん底の苦しみと悲しみ、そして相手への強烈な怒りを抱かされる体験です。
 まずは当事者同士が助け合える関係、共感し合える関係、感情を聞き合える関係性づくりこそが大切ではないかなぁ。そこから、何とか今日1日を生き延びられる希望が生まれてくるのではないかなぁと思うのです。
 僕にとっては、他の当事者を支えさせてもらえることが、自分の体験を意味あるものにしてくれますし、自分が生き延びる糧ともなっています。これは当時者にしかできない大切な社会的な仕事です。