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2014年1月1日

子どもに会いたくて会いたくて、その想いだけで、子どもの学校の帰りに会いに行っていたのですが、会いに行ったのは、学校帰りだけではありませんでした。

友人を通して、子どもが放課後水泳を習いに行くようになったと聞けば、そのプールへ一般ビジターとして行ったり、中学生になり部活をするようになったら、運動場が見渡せるマンションの非常口階段に上がり、双眼鏡で子どもの姿を追っていました。

その当時は、学校の担任の先生も、親権のない親だからといって警戒することもなく、学校での子どもの様子を教えてくれましたし、時間割表をくれたり、教室に案内もしてくれました。

そこには、僕が日常的にみたり聞いたりすることのできない、子どもの学校生活の様子がかいま見られて、ひとときではあっても心が安らいだものです。そのときだけは、子どもとの距離がすこしでも縮まり、子どもの近くにいられたような気がしました。

会いにいくということは、けれども、とても胸が張り裂けんばかりの苦痛もともないました。

子どもは僕の姿を見るなり、走って逃げようとします。距離が近づいてくると早足で避けようとします。話しかけても片言の返事をする程度で、身をよじって「会いたくない」という表情をします。

子どもにとってみればもっともなことです。母親からは「お父さんはお前を捨てた」と言われ続けていて、父親に会っただなんて、口が裂けてもいえるような環境ではなかったのです。子どもはそんな母親のもと、生き延びなければならなかったのです。

しかし、理屈ではそうと分っていても、自分の全存在をかけて愛しているその子どもに拒否されるのですから、つらくてつらくてその心の痛みは、ナイフで心臓をえぐりとられるようなものでした。

どうしても会いたくて会いに行くのですが、子どもに会えるのはほんの数分。帰ってからその10倍の時間をかけて、ひとしきり泣かなければなりませんでした。

泣いて泣いて泣き尽くして、深い深い心の傷を癒して、また会いに行こう…、と思う日々でした。

男性は幼い頃から、「男の子なんだから」という理由で、感情表現を不当に抑制されて育てられます。けれども、ほんとうは泣き尽くすことで、心の傷は自然治癒され、また再び生きる力、愛する力を与えられるのです。

12月13日(金)

数ヶ月ぶりに、子どもと会っていろいろおしゃべりしながら、食事をごちそうしてあげました。子ども、と言っても28歳になるりっぱな男性です。

離婚により、5歳で離ればなれになり、きちんと会えるようになったのは、子どもが二十歳になる頃からでした。それ以来、数ヶ月ごとに、こうしてご飯をごちそうしてあげながら、近況を聞いたりしています。

仕事やスポーツのこと、彼女のことなど、ごくごく日常にありふれた話題ばかりです。それでも僕にとっては、20年もの年月、ここまでに至る長く苦しかった道のりを思うと、こうして体いっぱいに子どもの話をきける時間が、とても貴重で尊くてありがたくてたまりません。生きいくことをあきらめないでよかった、と思う瞬間です。

僕と子どもとは20歳しか年が離れていないので、少し自分の顔に似ている子どものことを、今では年の離れた弟のように思います。子どもにとっても、「気がついたら父親はいなくて」、学校帰りに会いにくるのが父親の姿だったようですから、僕のことを、「父親というほど親しくもないし、かと言って他人でもないし…」、「今では年の離れたお兄さん」のようだと言います。

「あの学校帰りに会いにこられるのは、子ども心にイヤだったなぁ」と彼は言います。

23年前の離婚のとき、願っていた離婚後の共同子育ては相手の強力な反対で実現せず、月に1回は会わせるという約束も守られず、家裁に調停を申し立てれば、「最後にはお子さんに、お父さんかお母さんのどちらかを選んでいただくことになります」と調停委員は言いました。そんな家裁に見切りをつけた僕は、とにかく学校帰りやプールの帰りなど、何でもいいから、子どもに直接会う、ということをやったのでした。学校の先生に時間割をもらい、週に数回以上は会いにいっていました。

子どもは、そのときのことをそう言ったのです。一緒に帰るお友達とのこと、同居する母親からは「お父ちゃんは、お前を捨てた」と言われていたのです。子どもにしてみれば、イヤで仕方なかったと思うのは、当り前のことです。

そんな彼に、「会うための方法が他になかったからねぇ。」と僕は笑いながら答えました。つまるところ、そこまでして会いにいっていた父親の姿を、彼自身がどう感じとりどう理解してもらうか…、それは、僕の手をはなれたところにある彼自身のことかもしれません。

僕は父親であることの愛情をそういう方法でしか伝えられませんでしたが、選択しうる方法の中で、もっともすばらしいことだったと今では確信しています。

人の子ども時代は、とても短く、1日1日が新しい出来事の連続です。その彼の子ども時代に、学校帰りのほんの一瞬であっても、父親である僕の姿を刻むことができたことがうれしいのです。