子ども時代の時間の流れは、大人の時間の流れとは大きく異なり、1日1日に大きな意味があります。親という存在は、子どもが幼いからこそ必要とされる存在であり、子どもが大人になってから必要とされる存在ではありませんよね。
ですから、離婚時、子どもが幼ければ幼いほど、父親と母親が子育ての今後を、迅速に丁寧に決めていく必要があります。
子どもにとって、親に会えない状態が長くなればなるほど、親子関係の修復は困難なものになります。
子どもに会えない親にとっても、子どもがもっとも親を必要とするその時期に、自分がそばにいてあげられないのは、つらいものです。
僕が子どもと会えない状況が続いているときにも、「いつか大人になったら会えるようになるから」とか、「子どもから会いに行くようになよ」といった励ましの言葉をかけていただきました。でも、大人になって会えるようになってからも、そばにいてあげれなかった空白の時間は、永遠に空白のままで、埋め合わせできるようなものでは決してありませんでした。
おむつ替えをし、離乳食をつくって幼かった子どもはすっかり大人になり、親離れの時期をくぐり抜け、親を無条件で必要とする時期はとっくに卒業していたのです。(できることなら、親に対する反抗期のバトルを全身で受け止めてあげたかったな。)
子どもが大人になり、会えるようになってから、その空白の時間を埋めようともがき苦しんだ時期もありましたが、数年たってからそんなことは到底不可能なことだということがわかりました。むしろ「空白の時間」は「空白の時間」として、受け入れて、未来志向で、大人の子どもとの関係性をつくろうと思うようになりました。
親子の関係は生きている限り、一生続きます。これから先、子どもとどんな関係性をつくっていけるのかわかりません。子どもの頃のような濃密な関係性ではなく、同じ時代を生きる、兄弟のような感覚で、大人になった子どもと接していけたらと願っています。
ずっと片思いかもしれませんが(笑)。