昨年12月17日、面会交流の合意が守られないために、父親が親権者の変更を求めた申し立てを、福岡家裁が認めたというニュースがありましたね(18日大分合同新聞)。離婚後の単独親権制度の現行法の中では、今までにない画期的なことです。
家裁は親権を父親に、監護権を母親に分けることで、「双方が長男の養育のために協力すべき枠組みを設定することが有益。子どもを葛藤状態から解放する必要がある」と指摘しているというのですから、こういった審判例が全国の家裁に広がっていくことを切に願いました。
僕が調停を申し立てた約25年前には、こんな家裁の判断が現実になるなんて、信じられませんでしたね。
当時の調停委員は、子どもの養育について、子どもの視点や権利にそって、双方の親を説得する姿勢は皆無でした。今でもそうなのかもしれません。3回の調停を行いましたが、「これ以上の調停を望むのであれば、お子さんにお父さんかお母さんのどちらかを選んでいただくことになります」との最後通告。当時5歳の子どもにどちらかの親を選ばせるというその残酷さに、うちのめされました。
調停ですらこうなのですから、その先の審判は、子どもにとってどんな悲惨なことになるかと、調停委員や家裁そのものへの不信感から、当時の僕はその時点で調停をやめました。妥協の余地はなかったのです。やめてよかったと今でも思います。
共同子育て・共同親権社会の実現のためには、子どもの権利を主体とした新しい法律を制定する必要がありますが、現行法の中でも、今回のように、親権と監護権を分けることで、子どもにとって父親と母親双方の関わりを保障していくというのはとても重要です。
けれども、今回の申し立てもたった月1回の面会交流が守られなかったとのこと。国際基準は、少なくとも年間100日です。父親と母親が遠方であるにしても、月1回の「面会交流」だなんてあまりにも少なすぎます。(常日頃思っていることなのですが)そもそも、子育てって「交流」なんですかね。
さらなる「画期的」な家裁審判が待ち遠しいですね。
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