離婚と子どもに会えない日々の中で、僕はアルコール依存症になってしまいましたね。
アルコール依存症はほんとうに気をつけなくてはいけないです。幸いにも、ブラックアウト(飲んでいたときの記憶がないほどの酩酊状態)までにはなりませんでしたが、昼間からアルコールを飲んだり、夜も毎日のように飲まなくてはいられなかったり、週に数日の休肝日さえも自分の意志でつくれなくなっていましたから、完全なアルコール依存症と言ってもいいでしょう。
離婚時に取り決めた面会の約束は守られず、クリスマスや子どもの誕生日にプレゼントを送っても、(まだ子どもが受け取り拒否をするならまだしも)母親が受け取りを拒否し、わざわざ送り返してくる。
小学校の帰りに会いに行っても、母親から僕の悪口を聞かされている子どもは身をよじるようにして僕を避けていこうとします。
そんな子どもに会えないという過酷な現実は、いとも簡単に、僕をアルコール依存症、自死、さらには相手への殺意願望までもたらしてしまいました。
こんなにもひどい現実を、いったいどうやって生きのびればいいのでしょうか—。
当時、僕は幸いにも友人がやっていたコウ・カウンセリング(再評価カウンセリング)に出会うことができました。お互いがカウンセラーとクライアントの時間を対等に分かち合って、話をしたり、泣いたり、笑ったり、怒ったりという感情を出すことで、過去の傷を癒していくというカウンセリングです(詳しいことはまたの機会に)。
それで僕の場合、とにかく泣きました。泣くことしかできませんでした。泣いて泣いて泣き尽くすと、何とかその日を生きていくことができるような、そんな日々がず〜っと続いていました。
すさまじいまでの怒りと憎しみに、枕をなんどもナイフで切りつけズタズタにしてしまいましたし、いくつわら人形をつくり、カッターで切り刻んだことでしょう(笑)。
自分も他人も傷つけることもなく、ひとりで、あるいはもうひとりのカウンセラーに見守られる中で、泣き叫び、憎しみや怒りをはきだすことは、アルコールで自分の躰をボロボロにするより、はるかに安全で安心な方法だったと、今では思うことができます。
ひとしきり泣いた後は、
「まだ居場所がわかっているだけでもいい」
「プレゼントだって、だまって捨てられるよりはまだ送り返される方がいい。ずっととっておいていつか会えるようになったら渡そう」
「昨日の学校帰りはすれ違いで会えなかったけど、今日は顔を見れただけでもよかった」
「子どもも自分も生きていれば、いつの日か会える日がくるよ」
と、現実を受け入れられる方へと心がほんの少しでも動くのでした。
おかげで、子どもに会えないだけでもじゅうぶんにひどい現実を、よりひどい状態(自死したり、子どもを奪い返したり、人を殺したり)、より複雑な状況にしなくてすんだのは、よかったなぁと思います。
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