今年は、例年になくハードな1年でした。人工呼吸器をつけた重い障害をもつツレアイが、腎結石で2回、気胸で3回、計5回も入院してしまったからです。
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今年は、例年になくハードな1年でした。人工呼吸器をつけた重い障害をもつツレアイが、腎結石で2回、気胸で3回、計5回も入院してしまったからです。
今から約24年前に25歳で離婚を決意したときには、離婚後の共同子育てはあまりにもあたり前過ぎて、まさか子どもに会うことすらできなくなるなんて、夢にも思ってもいませんでした。
離婚後の何回かの面会の後、子どもが「お父さんと一緒に住む!」とお母さんに向かって言うと、「そんなのダメだよ!お父さんには会わせないよ」と元ツレアイはすかさず返す。それでも負けじと当時5歳にの子どもは「お母さんはお母さん、お父さんはお父さん、ぼくはぼくでしょ!」と叫びました。
親が制限さえしなければ、子どもは親の所有物ではないということを、子どもは子どもなりに直感的に分かっているんですよね。
ともあれ、共同子育ては元ツレアイの理解と同意があってはじめて可能になるわけで、自分ひとりがどんなに望んでもできるわけではないし、ましてや全面的に敵対していては、できるものもできないものです。
ぎりぎりのところで、最愛の子どもの親としての関係性をお互いに再構築していかなくてはなりません。その作業はときに大きな葛藤と痛みをともなうものだと思いますが、子どもへの愛を糧として乗り越えなくてはならないものなのでしょうね。
子どもと引き離され、会うことさえできない日々は、絶望につぐ絶望にどっぷりとつからなければならない日々です。逃れることのできない牢獄に入れられた日々です。その苦しみに比べれば、乗り越えられないものではないような気がします。
子どもが20歳になってから会えるようになったのですが、今でも、夜眠る前に書く日記には、「おやすみなさい」と子どもにむけて書いてしまいます。
子どもはもう30歳近くになるというのに、今は会おうと思えば会える状況にあるというのに、会えなかった当時の習慣はなかなかぬけないものなんですね(笑)。
今年の4月からはじまっている明石市の離婚後の子どもの権利を守る取り組みを遅ればせながら、今日知りました。ほんとうにすごいですね。
離婚届を受け取りにきた市民にもれなく、養育費の支払いや面会交流の方法などを記入できる合意書や養育プラン等の書類の配布を行っています。希望者には「子どもと親の交流ノート」も配布しています。こんなのは全国でも初めての画期的な取り組みですよね。県弁護士会や家庭裁判所、臨床心理士会、社会福祉士会など6機関と連携する「子ども養育支援ネットワーク」と称する連絡会議も発足させて、離婚後の子どもの養育支援を本格化させています。(詳しくは明石市のHPをどうぞ。)
泉市長さんは講演(親子断絶防止法全国連絡会のHPに掲載)で、「離婚のとき、お父さん、お母さんには弁護士がつくけれど、ほんとうに弁護士が必要なのは子どもなんです」という言葉には思わず拍手をしてしまいました。
行政がやる気になればこんなこともできるんですね。全国の自治体に広がれば、と願いつつ、まずは自分が住む札幌市に実現させたいなと強く思いました。
子どもに会いたくて会いたくて、その想いだけで、子どもの学校の帰りに会いに行っていたのですが、会いに行ったのは、学校帰りだけではありませんでした。
友人を通して、子どもが放課後水泳を習いに行くようになったと聞けば、そのプールへ一般ビジターとして行ったり、中学生になり部活をするようになったら、運動場が見渡せるマンションの非常口階段に上がり、双眼鏡で子どもの姿を追っていました。
その当時は、学校の担任の先生も、親権のない親だからといって警戒することもなく、学校での子どもの様子を教えてくれましたし、時間割表をくれたり、教室に案内もしてくれました。
そこには、僕が日常的にみたり聞いたりすることのできない、子どもの学校生活の様子がかいま見られて、ひとときではあっても心が安らいだものです。そのときだけは、子どもとの距離がすこしでも縮まり、子どもの近くにいられたような気がしました。
会いにいくということは、けれども、とても胸が張り裂けんばかりの苦痛もともないました。
子どもは僕の姿を見るなり、走って逃げようとします。距離が近づいてくると早足で避けようとします。話しかけても片言の返事をする程度で、身をよじって「会いたくない」という表情をします。
子どもにとってみればもっともなことです。母親からは「お父さんはお前を捨てた」と言われ続けていて、父親に会っただなんて、口が裂けてもいえるような環境ではなかったのです。子どもはそんな母親のもと、生き延びなければならなかったのです。
しかし、理屈ではそうと分っていても、自分の全存在をかけて愛しているその子どもに拒否されるのですから、つらくてつらくてその心の痛みは、ナイフで心臓をえぐりとられるようなものでした。
どうしても会いたくて会いに行くのですが、子どもに会えるのはほんの数分。帰ってからその10倍の時間をかけて、ひとしきり泣かなければなりませんでした。
泣いて泣いて泣き尽くして、深い深い心の傷を癒して、また会いに行こう…、と思う日々でした。
男性は幼い頃から、「男の子なんだから」という理由で、感情表現を不当に抑制されて育てられます。けれども、ほんとうは泣き尽くすことで、心の傷は自然治癒され、また再び生きる力、愛する力を与えられるのです。